1974年12月25日、初代店主・数一の道楽の延長上としてバロックは開店いたしました。
この誕生秘話を知るものはごく限られた身内くらいのものでしょう。
息子である私が産まれたときは、ここは一軒家で祖父母も住んでいた、当時の日本ではごく普通の大家族一家でした。
隣の失火により、隣の方の提案により合同テナントビルを建てることとなりました。
当時バロックのある場所は雀荘が入居していたのですが、店の権利が反社会勢力に乗っ取られそうになる事態が発生し、その事件を回避すべく雀荘には立ち退いていただき、空いた2階をどうするか。ということで、父自らの道楽の場所としてオープンしたのがバロックです。
それまでサラリーマンだった父が会社も辞め自分の趣味に没頭したわけです。
父はとにかく突き詰めるタイプであり、アンプを自作してはその音を追求、日々試行錯誤していました。その試験部屋を兼ねてバロックが誕生したのです。
こういった親の下で育てば、情操教育や跡取りとしてさまざまな技量を受け継いでいると思われる方も多いでしょうが、むしろ逆です。
「お前に聴かせる音楽はない」と隔離され続け、特に店がオープンしてからは上の3階で音でも立てようものなら「やかましい」と叱責されるわ、昭和の時代ですから張り倒されるわ、それまで週末くらいにしか顔を合わせない父が毎日居ては些細なことで都度怒られるわけですから、当時5歳のやんちゃなこどもにしてみれば地獄の日々が始まったわけです。
土日は店が繁忙ですので、旅行どころか父兄参観や運動会、学芸会などに父が来たことがありません。リトルリーグなどの父兄立ち合いを要するものも入れません。
そのような経緯より、父からは何も受け継いでおりませんし、わかりません。また音楽全般好きなのですが、クラシック音楽は上記のような理由より嫌いです。嫌な想い出しかなく、身をいれて聴きたいと思えないのです。
一部で「息子さんがあとを継げばいいのに」というお声をいただきますが、継ぐ気は全くありません。
継がない理由として、ほかにもあります。
父・数一は上記で触れたとおり自らの趣味を追い続け、良質なアンプを目指し自作しておりました。こだわりにこだわりぬいてより良いものを追求し続けていたのです。
その音に対するこだわりは父だからこそ持ち合わせていたものであり、私にはありません。
父が最終形を完成していたのであればともかく、志半ばで医療ミスにより他界したのです。
父の追い求めたモノは、未完のまま現在に至っているわけです。
35年前より、この店ではそれが止まってしまっているのです。
音もわからない、アンプの知識もない、クラシック音楽自体に興味のない私があとを継いだら、天寿を全うしたときまた父より激しく叱責されるのがオチでしょう。
父の死去後、母が二代目となり店を継続することに対して私は反対でした。
父が亡くなった以上、その信念を持ったものがいなくなるためです。
ダラダラ父の形見を続けるだけ、信念のない店はその後の成長、発展はないからです。
ただご存知の方も多いと思いますが、頑固な母ですのでひくことはありません。
父の知人・友人の方々やスタッフ、常連のお客様もサポートしてくださる旨のご意見をいただき、それ以上は私も鉾を収めましたが、本心は本来の店主がいなくなった時点で閉店すべきだったと思う気持ちは変わりません。
鉾を収めたのには実は核心の理由があります。
母が店に父を感じている、店自体を父と感じている。その存在意義とでも申しましょうか。
母もまた古風な人間ですので、夫の遺志を継ぐのは妻のつとめ。ここで店を取り上げてしまえば母は壊れる、生き甲斐を失くしてしまう。と強烈に感じたからでした。店の面影に父を感じ、愛あるからこその母の信念だったのでしょう。
ふと気付くと初代店主である父より、あとを継いだ母は2倍の月日が経過していました。
本来の主を失ったアンプや機器も故障が増え、また父の友人・知人も高齢化、鬼籍に入られる方もいらっしゃり、更には交換パーツも底を尽き、ここ数年は父がかつて製作し、かろうじて稼働するアンプなどと交換。とっくに限界は迎えておりました。
現状、父が目指したアンプの使用法はできておりません。もうできないのです。かろうじて作動する機器で何とか延命しているに過ぎず、父が存命であればかなり叱責されるレベルです。
(存命時の父をご存知の方であればお分かりかもしれませんが、この曲は何番のアンプ、この曲は何番のアンプとかなり細かい指示や設定がありました。)
2023年1月、機器故障で数日臨時休業したことがありました。
この時はかろうじて再開にこぎつけられましたが、次に同様なことが起これば完全に終了です。
この残り1か月の間に起こらないとも言い切れません。同様な事案が発生すればそこで閉店です。
まだ続ければいいのに。言うのは易し、行うは難し。
また事業継承の申し出などもいただいておりますが、信念もなく、実状やこの店の歴史も知らず、簡単にできることだとお思いなのでしょうか。
それは初代である父に対する冒涜と解釈しております。
現在の常連のお客様、かつてのお客様に心地よいひとときを過ごしていただこう。との思いで、私の方に回ってきた取材案件は全てお断りしておりました。ご推薦いただいた方には申し訳ございませんが、アド街ック天国もそのような理由がございました。
ずん喫茶も私はお断りを入れていたのですが、母が受けてしまい申し訳ございません。
(閉店の絡みがなければ、ずん・飯尾さんは私も大ファンなので断る理由がなかったのですが…まさか母がこっそり受けていたとは。本当にすいません。)
更には私を通さず書籍の取材依頼を勝手に受け、皆様に告知する前に書籍上で閉店を公にされてしまい…情けない限りですが、こういった母を含めての今のバロックなのですね。
人に歴史あり。店に歴史あり。
バロックは半世紀を越え、開店より51年で静かにその歴史に幕を下ろします。
懐かしんでくださるお客様がいることを考え、かなり早い7月に閉店告知を打たせていただきました。夏休みに、お盆に、秋の三連休に、最後の訪問を楽しんでいただくと同時に、通っていたころのお客様の記憶を懐かしんでいただく、そしてお客様の歴史の1ページにバロックという喫茶店があったという記憶を忍ばせていただけたら。と。
残り1か月となりましたが、どうぞご来店される皆様にとって安らかなリスニングルームとなりますよう。
令和7年11月30日 文責・中村達雄 (初代店主・中村数一 二代目店主・中村幸子)